「元気いっぱいの牧場」
わたしは、良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11)
イスラエルの民は羊で、神は羊飼いと理解されていた(詩23:1)。
「【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
1 羊飼いも、門から出入りする
盗人や強盗は、囲いを乗り越えて、門からは入らない。
真の羊飼いは、羊の歩く道を一緒に歩き、同じく過ごす。イエスも然り。
2 羊飼いは、自分の羊をその名で呼ぶ
人の見た目は同じ様に見える羊でも、羊飼いには見分けが出来る。
しかも羊もその名を呼ばれると、羊には聞き分けられる。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
そして、人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受ける事が定まっている。(ヘブル9:27)
◆◆「人は死んだらどうなる」 聖書 <ルカ16:19〜31> ◆◆
聖書は、死後の世界の存在を明らかにしています。主イエス様は、
ラザロはアブラハムのふとことに、金持ちはハデスに行ったと言われました。
I 評価が逆転される(25)
人の評価と神の評価は同じではなく、むしろ逆です。
富んでいた事が悪いのではなく、憐れみの心を持たなかったのが問題。
(愛がなく、無関心であった事。)
II 超えられなくなる
やがて祈りに答えられない「手後れの時」が来ます。
「大きな淵」が隔てていて、渡ろうとしても渡れず、超えられなくなります。
今が救いの時です。
◎イエス様が十字架にかかって私たちの掛け橋となって下さいました。
信じて救われる者となりましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の
正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 (ルカ15:7)
◆◆「天にまでとどく喜び」 聖書 <ルカ15:1〜7> ◆◆
イエス様の教えは誰にでもわかりやすいものでした。
日常生活で目にする事が話題でしたから。それで、聞きに集まった人々の多くは
学者ではなく民衆でした。それも罪人と言われる人々が多かったのです。
I いなくなった小羊
羊は神殿で礼拝を献げるのに欠かせない大切な動物。ところが夜は狼に
襲われたり、強盗に奪われる弱い存在でした。
II 天にまでとどく喜び
神様の愛の心は、失われた者を探し出し、犠牲を払って回復を求めます。
また、神の愛の心は犠牲を倍加して喜び、天にも至ります。
◎ 自分の弱さを知らず、はぐれてしまった羊(私たち)を神様は御子を遣わして
探し出し、救って下さいました。救われた命を感謝して大切に生きましょう。
それは、神様が与えて下さった使命を生きる、ということではないでしょうか?
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、
みことばに聞き入っていた。 (ルカ10:39)
◆◆「みことばに聞き入る姿勢」 聖書 <ルカ10:38〜42> ◆◆
クリスチャン生活の最も大切な部分は「主の足もとにすわって
みことばに聞き入ること」です。どうしても必要なことがここにあります。
みことばに耳を傾け、生活をいのち豊かにしましょう。
I 喜ぶ心から、思い悩む心へ変えるもの
子育ても、ご主人に仕えることも、会社勤めも、勉強に励むことも、
手抜きのゆるされない大切な勤めです。これを喜び励むには?
II みことばに聞き入る姿勢
「どうしても必要なことはわずかです。いや、ひとつだけだ!」と
イエス様が、最も良いこととして勧められたのはみことばを聞く事です。
◎ イエス様への『もてなし』は、デボーションをする事、聖書を読む事、
礼拝をささげる事ではないでしょうか?そして、みことばを理解したとき、
イエス様がもっとも喜ばれる最高のもてなしとなるのではないでしょうか?
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」
するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
(ルカ10:37)
◆◆「シテアゲル カラ サセテイタダク ヘ」 聖書 <ルカ10:25〜37> ◆◆
旧約聖書の中心の教えは、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、
知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』とあります。」
I かわいそうに思う心
傷付いた旅人を、かわいそうに思う心がイエス様の心です。
この心が十字架の身代わりにまでさせたイエス様の私たちへの愛です。
II 隣人になる心
ユダヤ人にとって、サマリヤ人は隣人ではなく敵対関係になってました。
隣人をユダヤ人同胞に限定していた殻を超えましょう。
◎ して「あげる」と、いつしか無くなってしまいますが、
させて「いただいて」いれば...無くなることはありませんね!
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。
それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、
少ししか愛しません。」 (ルカ7:47)
◆◆「多く愛される者の幸い」 聖書 <ルカ7:36〜50> ◆◆
イエス様は今、どこにおられるのでしょうか?私たちの心の中に住まわれるお方です。
なんと幸いなことでしょうか!
I イエス様を愛した者の幸い
罪深い女は、イエス様を愛する心が原動力となって、迎えられるはずもないパリサイ人
の家の食卓にまで進み行かせた。
II 神がすでに赦して下さっている
イエス様の後ろに立ち、泣きながら、涙でイエス様の御足を洗った後に、
高価な香油を注いだ。この犠牲の中にすでに赦されている者の喜びがあふれている。
感謝の内に生活をしましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、
彼に言われた。『よくなりたいか。』」 (ヨハネ5:6)
◆◆「心から願うことは?」 聖書 <ヨハネ5:1〜9> ◆◆
神はご自身を「わたしは主、あなたをいやす者である」と約束して下さっております。
(出エジプト15:26)
I イエス様の御目に留まった人の幸い
イエス様は町や村を巡って、神の国を宣べ伝え、あらゆる病気を直されました。
弟子たちを遣わしたのも、神の国を伝えさせ、あらゆる病気と
わずらいを直すためでした。(マタイ10:1)。
II 神が私たちに求めている事
弟子ヨハネは私たちのために祈っていることは「たましいに幸いを得ている
ようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように。」です。(IIIヨハネ2)
イエス様はあなたの癒し主です。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」
(マタイ1:1)
◆◆「イエスの系図」 聖書 <マタイ1:1〜17> ◆◆
弟子マタイの書いた福音書では、イエスの父ヨセフの家系、ルカの福音書では
母マリヤの家系が記されています(ルカ3:23-38)
I アブラハムの子孫
イエスはアブラハム直結の子孫である事を強調しています。ユダヤ人にとって
イスラエルの民族の長であり、始祖であるアブラハムに家系がさかのぼる事は
存在の土台でした。
II ダビデの子孫
さらにイエスは、ダビデ王家の子孫です。王の王、主の主が、この地に来られました。
神の栄光のお方が、数にも数えられないような女性を通して、また、罪人や、異邦の民
を用いて誕生されました。