「元気いっぱいの牧場」
わたしは、良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11)
イスラエルの民は羊で、神は羊飼いと理解されていた(詩23:1)。
「【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」
1 羊飼いも、門から出入りする
盗人や強盗は、囲いを乗り越えて、門からは入らない。
真の羊飼いは、羊の歩く道を一緒に歩き、同じく過ごす。イエスも然り。
2 羊飼いは、自分の羊をその名で呼ぶ
人の見た目は同じ様に見える羊でも、羊飼いには見分けが出来る。
しかも羊もその名を呼ばれると、羊には聞き分けられる。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
そして、人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受ける事が定まっている。(ヘブル9:27)
◆◆「人は死んだらどうなる」 聖書 <ルカ16:19〜31> ◆◆
聖書は、死後の世界の存在を明らかにしています。主イエス様は、
ラザロはアブラハムのふとことに、金持ちはハデスに行ったと言われました。
I 評価が逆転される(25)
人の評価と神の評価は同じではなく、むしろ逆です。
富んでいた事が悪いのではなく、憐れみの心を持たなかったのが問題。
(愛がなく、無関心であった事。)
II 超えられなくなる
やがて祈りに答えられない「手後れの時」が来ます。
「大きな淵」が隔てていて、渡ろうとしても渡れず、超えられなくなります。
今が救いの時です。
◎イエス様が十字架にかかって私たちの掛け橋となって下さいました。
信じて救われる者となりましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の
正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 (ルカ15:7)
◆◆「天にまでとどく喜び」 聖書 <ルカ15:1〜7> ◆◆
イエス様の教えは誰にでもわかりやすいものでした。
日常生活で目にする事が話題でしたから。それで、聞きに集まった人々の多くは
学者ではなく民衆でした。それも罪人と言われる人々が多かったのです。
I いなくなった小羊
羊は神殿で礼拝を献げるのに欠かせない大切な動物。ところが夜は狼に
襲われたり、強盗に奪われる弱い存在でした。
II 天にまでとどく喜び
神様の愛の心は、失われた者を探し出し、犠牲を払って回復を求めます。
また、神の愛の心は犠牲を倍加して喜び、天にも至ります。
◎ 自分の弱さを知らず、はぐれてしまった羊(私たち)を神様は御子を遣わして
探し出し、救って下さいました。救われた命を感謝して大切に生きましょう。
それは、神様が与えて下さった使命を生きる、ということではないでしょうか?
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、
みことばに聞き入っていた。 (ルカ10:39)
◆◆「みことばに聞き入る姿勢」 聖書 <ルカ10:38〜42> ◆◆
クリスチャン生活の最も大切な部分は「主の足もとにすわって
みことばに聞き入ること」です。どうしても必要なことがここにあります。
みことばに耳を傾け、生活をいのち豊かにしましょう。
I 喜ぶ心から、思い悩む心へ変えるもの
子育ても、ご主人に仕えることも、会社勤めも、勉強に励むことも、
手抜きのゆるされない大切な勤めです。これを喜び励むには?
II みことばに聞き入る姿勢
「どうしても必要なことはわずかです。いや、ひとつだけだ!」と
イエス様が、最も良いこととして勧められたのはみことばを聞く事です。
◎ イエス様への『もてなし』は、デボーションをする事、聖書を読む事、
礼拝をささげる事ではないでしょうか?そして、みことばを理解したとき、
イエス様がもっとも喜ばれる最高のもてなしとなるのではないでしょうか?
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」
するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
(ルカ10:37)
◆◆「シテアゲル カラ サセテイタダク ヘ」 聖書 <ルカ10:25〜37> ◆◆
旧約聖書の中心の教えは、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、
知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』とあります。」
I かわいそうに思う心
傷付いた旅人を、かわいそうに思う心がイエス様の心です。
この心が十字架の身代わりにまでさせたイエス様の私たちへの愛です。
II 隣人になる心
ユダヤ人にとって、サマリヤ人は隣人ではなく敵対関係になってました。
隣人をユダヤ人同胞に限定していた殻を超えましょう。
◎ して「あげる」と、いつしか無くなってしまいますが、
させて「いただいて」いれば...無くなることはありませんね!
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。
それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、
少ししか愛しません。」 (ルカ7:47)
◆◆「多く愛される者の幸い」 聖書 <ルカ7:36〜50> ◆◆
イエス様は今、どこにおられるのでしょうか?私たちの心の中に住まわれるお方です。
なんと幸いなことでしょうか!
I イエス様を愛した者の幸い
罪深い女は、イエス様を愛する心が原動力となって、迎えられるはずもないパリサイ人
の家の食卓にまで進み行かせた。
II 神がすでに赦して下さっている
イエス様の後ろに立ち、泣きながら、涙でイエス様の御足を洗った後に、
高価な香油を注いだ。この犠牲の中にすでに赦されている者の喜びがあふれている。
感謝の内に生活をしましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、
彼に言われた。『よくなりたいか。』」 (ヨハネ5:6)
◆◆「心から願うことは?」 聖書 <ヨハネ5:1〜9> ◆◆
神はご自身を「わたしは主、あなたをいやす者である」と約束して下さっております。
(出エジプト15:26)
I イエス様の御目に留まった人の幸い
イエス様は町や村を巡って、神の国を宣べ伝え、あらゆる病気を直されました。
弟子たちを遣わしたのも、神の国を伝えさせ、あらゆる病気と
わずらいを直すためでした。(マタイ10:1)。
II 神が私たちに求めている事
弟子ヨハネは私たちのために祈っていることは「たましいに幸いを得ている
ようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように。」です。(IIIヨハネ2)
イエス様はあなたの癒し主です。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」
(マタイ1:1)
◆◆「イエスの系図」 聖書 <マタイ1:1〜17> ◆◆
弟子マタイの書いた福音書では、イエスの父ヨセフの家系、ルカの福音書では
母マリヤの家系が記されています(ルカ3:23-38)
I アブラハムの子孫
イエスはアブラハム直結の子孫である事を強調しています。ユダヤ人にとって
イスラエルの民族の長であり、始祖であるアブラハムに家系がさかのぼる事は
存在の土台でした。
II ダビデの子孫
さらにイエスは、ダビデ王家の子孫です。王の王、主の主が、この地に来られました。
神の栄光のお方が、数にも数えられないような女性を通して、また、罪人や、異邦の民
を用いて誕生されました。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「ダビデはミカルに言った。『あなたの父よりも、その全家よりも、
むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。
私はその主の前で喜び踊るのだ。」 (II サムエル6:21)
◆◆「主の御前で喜び踊ろう」 聖書 <IIサムエル6:1〜23> ◆◆
ダビデは、誰よりも多くの喜びを詩編に書き残しています。
I 楽器を用いての喜び
竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルなど、ありとあらゆる
楽器を用いて、神の偉大さを賛美しましよう。
II 力の限りの喜び
ダビデは、自分がかつていかに弱く、小さなものであったことを
忘れること無く、自分の救われたことを忘れませんでした。
III 主の御前での喜び
賛美は主に向けられ、主の前に捧げられるものです。主の救いを知った人
には、主への感謝と賛美の喜びも溢れ出ます。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
「戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者
への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」
(I サムエル30:24)
◆◆「主から賜った恵みの分かち合い」 聖書 <I サムエル30:21〜25> ◆◆
本日は宗教改革記念日です。この日より、プロテスタント教会が始まりました。
(1517年10月31日)
I ダビデの喜びと、悲しみ
ヨナタンのダビデへの愛は女の愛にもまさりました。
1. 仲間の安否が確認出来た時に、ダビデは心から喜んだ。
2. 友の死を悲しみ、敵対する者の死をも悲しんだ。
自分がそのように生きて、周囲の人にもそのように彼は勧めた。
II 神を恐れたダビデの祝福
ダビデは、常に神様の前に自分を意識して、神様の目の前に
生きている事を考えていました。それで神様はダビデを祝福しました。
私たちは、主に従い続けたダビデに倣いましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に
結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。
(I サムエル18:1)
◆◆「愛する者の幸い」 聖書 <I サムエル18:1〜16> ◆◆
愛される事を望むより、愛する事を求める者は幸いです。
愛してくれる人を持たないより、愛する人を持たない人が不幸です。
I 愛する人ヨナタンの幸い
ヨナタンのダビデへの愛は女の愛にもまさりました。
1. 自分を後にして、ダビデを先にする愛。
2. 自分の命を犠牲にする愛。
† God 1st others 2nd me Last
II 悪い霊が下ったサウル
サウルは、1 怒り、2 不満に思い、3 疑い、4 恐れたので、
悪い霊に支配されました。聖霊は、愛、喜び、平安、寛容、親切さです。
III ダビデの信仰
愛されている事、祝福されている事、用いられている事への信仰を
持ち続けることが大切です。
※ダビデは自分の勝利は、神様からもたらされたものと自覚していました。
ここにダビデの信仰があります。この姿を見たので、ヨナタンはダビデを
生涯の友として愛したのでした。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
(マタイ4:4)
◆◆「人はパンだけでは生きられない」 聖書 <マタイ4:1〜4> ◆◆
イエス様は洗礼を受けられ、霊的な高嶺におられたその時に、悪魔の試みを
受けられました。神様は私たちを試されます。
I 毎日が試練
感激の後には反動がきます。絶好調の後がもっとも注意が必要な大切なときです。
能力を持つ人がより多くの試練を受けるのです。
II 神の御言葉は力
人はたった一人になる時が必要です。その時が神との交わりの機会となります。
人の前から退いて、神の声を聞く必要があります。
肉体の力は、肉体からもたらされるのではありません。神の御言葉からです。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。
人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。
(I サムエル16:7)
◆◆「神を喜ばせる存在」 聖書 <I サムエル15:17〜23> ◆◆
サウル王に代わって選ばれた次の王様は、ダビデでした。
彼の目は美しかったと説明されています。神は心を見ておられます。
I 神の選びの意外性
1 神の目は、人の心の中をご覧になり、人の見る目と違う。
2 神の目は、親の見る目とも違う。
II 神から選ばれた者の責任
1 神から選ばれた者には、選びにふさわしい応答責任がある。
2 試みの中でも屈しない、変わらない応答が求められている。
どんな時にも、どんな状況でも、守りの御手が伸べられています。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを
喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 (I サムエル15:22)
◆◆「神を喜ばせる存在」 聖書 <I サムエル15:17〜23> ◆◆
私たちには、三つの声を聞く可能性があります。
1 神の声 2 悪魔の声 3 人の声 です。
私たちは誰の声を聞いているのか 判らなくなることがあります。
聞き分けて、神に従いましょう。
I サウルの罪
1 自分を小さい者と思った。
2 分捕り物への欲望
3 偽り
4 他者への責任転換
II 神を喜ばせる存在
すでに神に愛されているのですから、従う事が最高の奉仕です。
神様は、霊的な交わりを求めておられます。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
(ヨハネ3:3)
◆◆「老年でも始められるから素晴らしい」 聖書 <ヨハネ3:1〜16> ◆◆
序 新しくやり直したい
イエス様は、私たちの罪を負って死なれました。どんな人でも失敗の無い人は
いません。やり直しのチャンスがここにあります。
1. 老年になっていてもできるすばらしさ
2. 神によってできるすばらしさ
神によってしか出来ない事。神の国に入ることのただひとつの道は、
新たに生まれることです。いかなる学問を積むことでもありません。
どんな地位に着くことでもありません。人のうらやむ立場に至ることでもありません。
ましてや、努力の限りで獲得するものでもありません。
結 永遠のいのちの確かさ
永遠のいのちを持てるすばらしさ!
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びる事なく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネ3:16)
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
それで人々がまた、主に、「あの人はもう、ここに来ているのですか。」
と尋ねた。主が、「見よ。彼は荷物の間に隠れている。」と言われた。
(I サムエル10:22)
◆◆「荷物の陰に隠れていた者」 聖書 <I サムエル10:17〜24> ◆◆
族長アブラハム以来、イスラエルの歴史が神様の直接的な指導によって
導かれてきました。それがここにきて、近隣諸国のように民は
「私たちの上に王を立てて下さい」と求めた。
1. 神を退けた民
地上の王様は権力をふるい、民の財産も、息子をも兵士として
取り上げてしまいます。神様は信じて従う者からは、与えることはあっても
奪うことはありません。神様を退ける過ちを繰り返さないように。
2. 荷物の陰に隠れていた者
イスラエルの初代王は、サウルが選ばれました。油がそそがれ(10:1)
神の霊が注がれ(10:10)整えられました。神の教えに感謝。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々や
アシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、
主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。
(I サムエル7:3)
◆◆「神のもとに帰る」 聖書 <I サムエル7:1〜4> ◆◆
イスラエルの歴史は平坦ではなかった、エジプトの支配を受け、
バビロンに捕囚の身とされ、隣人の民からも絶えず攻め込まれて
苦しめられてきました。
1. 主を慕い求める時
弱さを自覚して助けを主に求めるとき、主は救いの御手を
延べてくださいます。主の救いの御手が短いことはありません。
主ご自身を慕い求め、義を求め、聖さを求め、みことばを求めましょう。
2. 主にのみ仕える
わたしのほかに、ほかの神々があってはならない
とモーセの十戒が示しています。主にのみ、仕える者を主は待っておられます。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
それで、エリはサムエルに言った。
「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、
『主よ。お話し下さい。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。
(I サムエル3:9)
◆◆「神が呼んでおられる」 聖書 <I サムエル3:1〜14> ◆◆
聖書は神の言葉です。聖書を通して私たちは神の御心を知ることができます。
今のように聖書の無かった時代には、
神様は耳に聞こえるように語りかけて下さいました。
1. 祈りの二つのパターン
1「私が話します。主よ、お聞き下さい。」のパターン
2「私は聞きます。主よ、お話し下さい。」のパターン
†あなたの祈りで、どちらがより多い祈りでしょうか?
2. 神の語りかけに「聞き従う」少年サムエル
「聞く」というヘブル語には「従う」と言う意味が含まれています。
神様のかたりかけを敏感に聞き取る姿勢を育てましょう。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、
私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を
授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。
(I サムエル1:11)
◆◆「ハンナの祈り」 聖書 <I サムエル1:9〜20> ◆◆
「苦しいときの神頼み」でも神は祈りを聞いて下さいます。
追い詰められても救いを求める所を知らない人は何と悲劇でしょう。
ハンナはそこで祈ったので、祝福の道が開かれました。
1. 祈るハンナの心
1 ハンナの心は痛んでいた。それで激しく泣いて祈った。(10)
2 悩みの中からの誓願の祈りをハンナは捧げた(11)
3 憂いといらだちの心から、人を憎むか?神に祈るか?(16)
†祈る者は幸いです。神は応えようと待っておられるから。
2. 主の答え
主は心の悩みを安心に変えて下さる。喜びの力が顔の表情まで
変えて下さる。もはや以前のようではない!
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、
いのちはありません。(ヨハネ6:53)
◆◆「二つの食事」 聖書 <マルコ6:34、41〜44> ◆◆
6:34 イエスは、舟から上がられると、多くの群集をご覧になった。
そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、
色々と教え始められた。
6:41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて
祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。
また、二匹の魚もみなに分けられた。
6:42 人々はみな、食べて満足した。
6:43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも
取り集めた。
6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。
みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々
の中にあって御国を継がせることができるのです。(使徒20:32)
◆◆「恵みのみことば」 聖書 <使徒20:1〜35> ◆◆
パウロはエペソの長老たちを招いて、お別れの説教をしました。
1. パウロの生き方(18)
彼の説教の最初は、自分の生き方の確認でした。それは死を
間近にした者の真剣な生き方でした。彼は数々の試練の中での
最大の意識は「主に仕えました!」と明確でした。
2. 私たちは、神ご自身の血で買い取られた群れ(28)
神様が私たちに与えて下さった恵みは、ご自分の働きを御使い
たちにではなく、罪人の私たちにお委ね下さった事です。
3. 成長させるのは、恵みのみことば(32)
パウロはマケドニア地方を去って、エルサレムに上り、ローマ
にまで行こうとしていた。恵みのみことばに信頼して別れた。
◆◆「イエス様は、神の小羊」 聖書 <ヨハネ1:29、35〜37> ◆◆
1. 神の愛するひとり子
2. 罪のいけにえ
すべての人の罪の身代わりに、イエス様が十字架で、神の刑罰を受けて下さったのです。
それゆえ、あなたの罪も赦されます。祝福あれ!
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を
歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
(使徒16:25)
◆◆「獄中での賛美」 聖書 <使徒16:16〜34> ◆◆
美味しい物を頂いて感謝し、嬉しいことをして頂き感謝するのは
ごく自然な事です。ところが、パウロとシラスが神に賛美の歌を
歌ったのはどこから?痛み、苦しむ獄中からでした。
1. 暗闇の中での賛美
何度もむちで打たれ、牢に入れられ、足に足かせを掛けられた
状態で真夜中ごろ、彼らから溢れ出てきたのは神への賛美です。
2. 主イエスへの信頼の賛美
ローマの市民権を持っていたパウロたちは、むち打ちの刑から
免除されているのに、この権利主張もせず主に信頼して身を任せた。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニア人が彼の前
に立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けて下さい。」
と懇願するのであった。(使徒16:9)
◆◆「パウロの見た幻」 聖書 <使徒16:6〜10> ◆◆
パウロたちのよる1.000km以上にもなる伝道旅行は、3回にも
及びました。計画はあっても、実際の行き先を決めたのは神様。
1. 前にも行けず、後ろにも引けない時には!
パウロは持病を持っていました。それがどんなにか彼の心を
妨げたことでしょう。しかし、伝道の成果を妨げることはありません
でした。前でも、後ろでもなく、横に道が備えられています。
2. 神の招きの道
神様の招きには良き結実が与えられます。パウロの前に開かれた
神の招きの道は、やがてヨーロッパ伝道の始まりとなりました。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。
主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、
御恵みのことばの証明をされた。(使徒14:3)
◆◆「しるしと不思議なわざ」 聖書 <使徒14:1〜18> ◆◆
エルサレムから始まった教会の働きが、ユダヤとサマリヤを
越えて、アンテオケに拠点が移された。さらに1000kmも
離れた小アジヤと言われるイコニオムでも、大勢が信仰に入った。
1. 主によって大胆に
弟子たちが迫害の中でも語った事は、主イエスが救い主で
ある事でした。そのような弟子たちを主は助け、導き、
祝福された。
2. 恵みのことばの証し
神様の祝福が、そのまま受け止められ、喜ばれるわけでは
ありません。自分の手柄や、自分の欲望を求めて失敗を招く
事が多い。バルナバとパウロは、神に栄光を捧げて勝利している。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、
「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが
召した任務につかせなさい。」と言われた。(使徒13:2)
◆◆「神の御声を聞く時」 聖書 <使徒13:1〜3> ◆◆
エルサレムから500Km以上も離れたアンテオケにまで、
迫害によって主の弟子たちは散らされました。
そこが宣教の出発点。
1. 礼拝している時
礼拝の中心は天地の創造者です。礼拝でなされる事は神と人
との愛の交わりです。神様が語りかける愛のメッセージを聞こう!
2. 祈っている時
私たちは神を否定して、反逆の民となったにもかかわらず、
神はその私たちに御目を向け、御耳を傾け、御手を伸ばして
いて下さる。それ故、私たちが祈る時、神は語って下さいます。
☆☆ 今週の御言葉 ☆☆
兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現れになった主イエスが、
私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、
聖霊に満たされるためです。(使徒9:17)
◆◆「神の家族の交わり」 聖書 <使徒9:10〜22> ◆◆
エルサレムから始まった信仰が、ユダヤ、サマリヤを越えて、
30年ほどの間に、今ではダマスコにまで広まって来た勢いです。
1. 信仰による勇気
当時、イエスを救い主と信じることは、殉職を覚悟しなければ
なりませんでした。それでも信じて弟子となり、諸会堂が弟子たちで
満たされました。アナニヤは、信仰を公に告白した勇者でした。
2. 家族と認める心
アナニヤは、自分に対する主の導きの確かさを知る者でした。
その主の導きに従い、自分の思いでは恐怖の極みのパウロに
「兄弟サウロ!」と声をかけました。他の弟子たちも受け入れました。